毒親からの脱出 第四話「ついに『家出』をした私」
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はじめに
この記事では、私が毒親から受けた仕打ちや、逃げるために行った様々なことを、体験談を交えて紹介していきます。
・虐待の記憶
・家出
・キラキラネームからの改名
・分籍
主にこの4つに関してお話していきます。
現在家出を考えている方や、毒親に苦しめられている方に、この連載が少しでも参考になればと思います。
今回は、私の家出が想定より早まることになった、とある「事件」と、家出をした時のことについて、お話していこうと思います。
受験生の私を襲った「事件」
高校生活最後の冬。受験に向けて、私はラストスパートをかけていたところでした。
両親とは可能な限り接触しないように生活し、自分にストレスが掛からないように努めていました。
しかし、そんな中で一本の電話がかかってきます。
電話の相手は祖母でした。
「あなたの両親がまた離婚をするようだ。もしかしたら、引っ越しすることもあるかもしれない。」
それを聞いた私は、怒りで涙が止まりませんでした。
いつまで私の足を引っ張れば気が済むのか。
18年も私のことを苦しめ続けておいて、また振り回すのか。
余りにも身勝手すぎる。
明日、家を出ていこう。
自分を守るために、逃げる決心がつきました。
早朝3時。私は家を出た
祖母から電話を受けた数時間後。
私は祖母に、「明日そちらに逃げることにします」と伝えました。
私の話を何年も聞いてくれていた祖母は、すぐに「わかった」と返事をくれました。
翌朝。目覚ましを付けずとも2時半に目が覚めました。
部屋に落ちていたA3の白い紙を拾い上げ、私は両親に、最初で最後の手紙を書きました。
幼少期から受け続けた虐待への恨み。
友人関係すら破壊してきたことへの恨み。
プライバシーの欠片もない生活を強要されたことへの恨み。
離婚、再婚を繰り返し、私を振り回したことへの恨み。
A3の白い紙は、あっという間に両面真っ黒になりました。
最後に「一生関わるな」とだけ書き残し、荷物を持って家を出ました。
初めて「自由」を感じた日
家を出て、真っ暗な道を歩き始めました。
その時のすがすがしさは、今でも忘れません。
18年間の苦しみから、やっと逃れられるんだ。
嬉しくて、涙が出ました。
コンビニに立ち寄り食べたブリトーは、それまでの人生で一番美味しい食べ物になりました。
ついに私は、両親の呪縛から解放されたのです。
背中を押してくれた担任の先生
私が向かったのは、高校でした。
「これからしばらく通学できなくなります」と伝えに行く必要があったからです。
門が開いてすぐ、担任の先生に声を掛けました。
私の姿を見て何かを察したのか、別室で話を聞いてもらえました。
事情を説明すると、先生は書類を私に見せました。
そこにあったのは、「卒業要件」の文字。
思いもよらない言葉が、先生から飛び出しました。
「君は今まで高校を一度も休んでいないから、すでに卒業要件は満たしているよ。安心して行きなさい。受験頑張れよ!」
それを聞いて、私は本当に安心しました。
そして私は高校を出て、駅まで走り、新幹線に飛び乗るのでした。
次回予告
家を飛び出し、新しい生活を始めることが出来た私。
しかし、過去との縁を断ち切るためにやるべきことがありました。
それは、「改名」です。
それでは、今回はこの辺で!
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