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毒親からの脱出 第二話「高校時代。『家出』を決意」

 

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はじめに

この記事では、私が毒親から受けた仕打ちや、逃げるために行った様々なことを、体験談を交えて紹介していきます。

・虐待の記憶

・家出

・キラキラネームからの改名

・分籍

主にこの4つに関してお話していきます。

現在家出を考えている方や、毒親に苦しめられている方に、この連載が少しでも参考になればと思います。

 

今回は、親の再婚を期に引っ越しを余儀なくされた私が、家出を決意するまでのお話をしようと思います。

 

必死に逃げ場を探した中学、高校時代

引っ越しをして私が最初に取り組んだことは、「方言の矯正」でした。

前に住んでいる場所の方言が出てしまうと、いじめられるのではないか。そう思っていたからです。

何かを話す前に、頭の中で発音を確認してから、ゆっくりしゃべる。常に意識し続けていました。

その努力が功を奏したのか、中学、高校時代には友達が出来ました。

ただ、部活動は別でした。

両親は私が入る部活動を勝手に選び、私以外男性が居ない部活に入ることに。

当然、その中ではいじめを受けました。

家でも、部活でもストレスを抱え続けた私は、中学の3年間でひどく痩せました。

身長は25cmも伸びたのに、体重は1kgも増えなかったのです。

食事もまともに作ってもらうことは無く、6枚切りのパン1枚だけ、なんてこともザラにありました。

あばら骨が浮き出た、ガリガリの姿になりました。

1か月たった1000円のお小遣いを手に、友達と台湾料理屋に行き、700円のラーメン定食を、何度もご飯をお代わりしながら食べるのが唯一の楽しみでした。

 

親友たちが、当時の私を支えてくれた

中学高校時代も同じように言葉の暴力は続きました。

母親「友達を家に呼んでもいい」というので、家に呼ぶと、突然友達にも恫喝し、家から追い出すようなことが頻繁にありました。

その日の夜は、「二度と呼ぶな」と私を怒鳴り続けました。

友達は、何もしていないにもかかわらず。

そのうち、私は友達を家に呼べなくなりました。

友達と遊ぶ時は、私が友達の家に行ってばかりでした。

お世話になってばかりだと、友達も徐々に減っていきました。

ですが、そんな中でもずっと仲良くし続けてくれた親友が、数人出来ました。

私は、それぞれの親友の両親に虐待を受けている事情を説明しました。

みんな、暖かく歓迎してくれました。

たまに泊めてもらったり、キッチンを借りて一緒に料理をしたりしました。

学校終わりは、毎日のように誰かしらの家でしばらく過ごさせてもらいました。

 

大人たちに、虐待を受けていることを打ち明ける

高校時代。私は今の状況から何としても逃げたいと思い、色々な人に相談を始めました。

まず話を聞いてくれたのは、担任の先生です。

朝早く家を出て、学校の門が開くのと同時に登校している私を見て、声をかけてくれました。

虐待を受けていることを話すと、優しく対応してくださり、スクールカウンセラーさんのお世話になることになりました。

その後も、担任の先生は私の話を頻繁に聞いてくれました。

次に、祖父母にも虐待の事実を打ち明けました。

「そんなことあるわけない」と信じてもらえませんでしたが、私は毎日のように「今日はこんなことをされた」と伝え続けました。

1年以上続けた結果、やっと信じてもらうことが出来ました。

夏休みには、祖父母の家に滞在することもできました。

学校はアルバイトを長期休みの時だけ許可していたので、年末年始の休みを利用して必死に働き、そのお金を使って祖父母の家に逃げ込みました。

インターネットも何もない祖父母の家でしたが、少しだけ安心して暮らすことが出来ました。

 

ついに「家出」を決意

相談を聞いてもらうことは出来るようになりましたが、私の生活自体は、一向に楽しいものにはなりませんでした。

当然お小遣いは1000円のままですし、両親からの罵声も止まりません。

それに加え、両親同士が口論を始めるようにもなりました。

そんな中で訪れた、修学旅行。

両親はなんと、私の使用する携帯を「従量制課金」にしたのです。

これは、使えば使うほど通信料が上がっていくというものでした。

それを知らない内に、修学旅行で携帯を使った私に、20000円の請求書が届きました。

必死にアルバイトで貯めたお金も、奪われました。

20000円を渡すときに、父親がかけた言葉は

「金さえ払えばいいと思ってるのか?」

という、意味不明なものでした。

その言葉に、私はとうとう堪忍袋の緒が切れました。

何とかして家出してやろう。こんな場所に居たら、一生不幸なままだ。

ついに私は、「家出」を決意したのです。

 

次回予告

家出を決意した私ですが、具体的にどうやって家出しようかは決めていませんでした。

特に頭を悩ませたのが、経済的な問題。

そんな中私に飛び込んできたのは、「給付型奨学金の案内でした。

 

 

それでは、今回はこの辺で。

 

 

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