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毒親からの脱出 第一話「幼少期。虐待を受け続けた日々」

はじめに

この記事では、私が毒親から受けた仕打ちや、逃げるために行った様々なことを、体験談を交えて紹介していきます。

・虐待の記憶

・家出

・キラキラネームからの改名

・分籍

主にこの4つに関してお話していきます。

現在家出を考えている方や、毒親に苦しめられている方に、この連載が少しでも参考になればと思います。

 

今回は、私が幼少期、どんな「毒親」に育てられたのか。

そして、「家出」を決意したきっかけは何だったのか。

記憶している範囲でお話していきたいと思います。

 

最初の思い出

皆さんが覚えている、一番古い思い出は何ですか?

私の一番古い記憶は、「裸のまま外に放り出された」記憶です。

2歳、3歳頃の私を、両親は裸のまま、マンションの廊下に放り出しました。

放り出された理由は覚えていません。

でも、マンションに住む他の人々に裸を見られて、とても恥ずかしく、つらい思いをしたことは覚えています。

 

それからしばらくの記憶はありません。ぼんやり思い出せることでも、つらい記憶だけです。

当時の私には、「虐待を受けている」という自覚は無かったと思います。

 

幾度とない引っ越し。両親の離婚。

幼稚園に通っていた頃。両親は事あるごとに離婚の話をしていたことを覚えています。

父方の実家に引っ越したこともあったのですが、その時は父方の祖父母から冷たい目で見られました。

両親の思い付きで引っ越しをされることもあり、友人は1人もできませんでした。

当時からストレスで吐いてしまうことが何度もありました。

そして、両親は離婚。母方の実家に連れていかれました。

 

村八分」を受けた小学生時代。

母方の実家で暮らした小学生時代。

残念ながら、ここでも友人を作ることが出来ませんでした。

何故なら、母親が子どもの頃、ここでいじめを受けていたからです。

その風評被害を受け、私も仲間外れにされるようになりました。

田舎って、そんなもんです。

 

そんな暮らしの中でも唯一助けてくれる人たちがいました。

それは、母方の祖父母です。

祖父母だけが、私に優しくしてくれました。

美味しいご飯をたくさん作ってくれました。

祖父母の前では、母親も私を虐待することはありませんでした。

 

無くならない虐待

しかし、祖父母が外出をしている間や、目の届かないところで母親は私を虐待しました。

傷跡が付いてしまうため、手を出されることは無く、言葉の暴力が始まりました。

事あるごとにヒステリーを起こし、罵声を浴びせられました。

「あなたが居なければ楽に生きていけるのに」と何度も言われました。

それでも、母親は外に出ると、態度が豹変。

他の人に対しては「いいお母さん」として振る舞いました。

この頃の私は、母親の行動について、誰にも打ち明けることが出来ませんでした。

 

一番のトラウマ

母親は、男癖も悪かったため、深夜に外出することが頻繁にありました。

知らない男性の家に連れていかれ、私をバカにするようなこともありました。

そんな中、ある日の夜。今でも忘れられない、最悪な出来事が起こります。

なんと、私が眠っているのと同じ部屋で、電話での性行為を始めたのです。

性的なことは何も知らない子供の私でしたが、怖い思いをしたのは言うまでもありません。

布団の中で、必死で耳を抑え、我慢しながら時間が過ぎるのを待ちました。

当時の出来事は、年を取るごとにその意味が分かっていき、心に深い傷を残しました。

 

親の再婚。祖父母から引き離される。

それから少しして、突然家に男が押しかけてきました。

なんと、再婚をするからこの家を出ていくというのです。

祖父母から守ってもらえなくなるのが本当に怖かった私は、部屋の柱につかまって泣き叫びました。

それでも、祖父母は私が虐待を受けていることを知らなかったため、私を家から追い出しました。

 

祖父母の住んでいる場所から遠く離れた地に引っ越しを余儀なくされた私は、辛い中学、高校時代を過ごすことになります。

 

次回予告

引っ越し後も生活が良くなることは無く、結局虐待を受け続けることになります。

そんな中迎えた、18歳。

私はついに、虐待から逃れるために家出を決意します。

 

それでは、今回はこの辺で。

 

 

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