どうして主夫になったのか。第三回「妻と私」
nonbiri-setsuyaku.hatenablog.com
※この記事は上の記事の続きです。
皆さん、こんにちは。
どうして主夫になったのかシリーズも第三回となりました。今回は、ついに私が「主夫」になるお話です。心の病気から立ち直り、今の暮らしに至るまでを記事にしようと思います。
大学中退、闘病の日々
大学を辞め、投薬治療が始まりました。
毎日頭がぐったりするような薬を飲みながら、心を休める必要がありました。
当時住んでいた場所は家賃が高かったため、彼女の実家がある田舎に引っ越し、家賃の低い部屋を借りました。
彼女は「お金のことは私が何とかするから、ひとまずゆっくり休んで」と言ってくれましたが、
全くお金を稼がずにただじっとしているというのも、申し訳なく、つらい気持ちでした。
そのため、週3日、5時間ずつパートとして働くことにしました。
職場についてはまた今度記事にしたいと思いますが、最初は心の病気に理解がある店長のもと、ゆっくりと働くことが出来ました。
しかし、人員転換でその店長も居なくなってしまい、その後は結構しんどかったですが、なんとか続けていけました。
減薬、そして寛解
あっという間に1年が経ち、心が落ち込むことも少なくなってきたため、減薬を始めました。
一日一錠から、一日半錠に。
一日半錠から、二日に半錠に。
二日に半錠から、四日に半錠に。
最終的に薬が無くても気持ちが安定するまで、半年かかりました。
この時に一番つらかったのが、離脱症状です。
薬を飲まないでいると、頭がぼーっとするようなことが多くなり、
仕事中に上の空になってしまうこともありました。
しかし、薬を減らしていかないと、一生飲み続けることになってしまう。
辛かったですが、頑張りました。
離脱症状が完全に消えたときは、気分が晴れやかになりました。
「これから毎日、幸せな暮らしが出来るんだ!」と心の底から喜んだのを覚えています。
闘病中の私を支えてくれた妻
ここで、私の妻について少しお話ししようと思います。
妻は、良い意味で言えばポジティブ思考。悪い意味で言えばテキトーな性格です。
また、誰もが好き勝手に生きるべき、とも考えている人です。
私が大学を中退することにも、「嫌ならやめろ!」と大賛成してくれました。
(ただ、好き勝手が過ぎる結果、今の私とは考えが大きく違っており、不仲の要因になっています。その話は機会があったらしようと思います。)
そんな妻にも1つ欠点がありました。
家事が、全くできないのです。
面倒なことは後回しにするタイプなので、ご飯を食べて数時間経っても、お皿を片付けません。
使ったティッシュは机の上に放置します。
料理は当然、できません。
掃除も大嫌いです。
でも、その欠点は、私の長所を生かすチャンスになりました。
妻が私よりも働き、私はその分家事をする。
そんな生活が、互いにしっくり来るようになりました。
そして、「主夫」になった
私の病気が寛解し、これからどうしよう、と夫婦で話し合いになりました。
妻は、「お金よりも一緒にいる時間が長い方が良い。」と言ってくれました。
実際、夫婦ともにお金を使わない性格だったため、高い収入は必要ありませんでした。
しかし、一日中家に居るのもしんどかったので、私は精神的にも気楽な、ウーバーイーツ配達員として働くことを決めました。
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そうして、「妻が働き、私も妻が働いている間、配達をしながら家事をする」今の暮らしに落ち着いたのです。
最後に
今回でこのシリーズはいったん終了にします。
私が最後に皆さんに伝えたいことが1つあります。
それは、「自分の人生は自分で決めるべき」ということです。
周囲の目を気にして生きたいように生きられなかったら、後悔します。
でも、自分で決めたことなら、後々何が起こっても納得が出来ます。
自分が一番ストレスなく、楽しく生きることが出来る生き方をしてください。
周囲が気になるなら、引っ越しをしてみるのも一つの手です。
私たち夫婦は今の暮らしにたどり着くまで、数回引っ越しました。
「人間、意外とどこに行っても生きていけるもんだな」と自信が付きますよ。
それでは、今回はこの辺で。全三回、ご覧いただきありがとうございました。